政務調査報告書
新風会会長 松尾幸長様
政務調査委員長 吉田廣光
調査期日 平成19年10月25日〜27日
調査場所 青森県 八戸市、十和田市
調査項目 @ 八戸市の環境の取り組み
A 八戸市ハサップ対応漁港構想
B 十和田市観光行政の取り組み
調査人員 吉田廣光、松尾幸長、平野潤二、志渡澤一則、山下正雄
楢崎三千夫、中村健一
政務調査報告
調査項目 八戸市の環境への取り組み
八戸市は、昭和39年に新産業都市の指定を受け、企業誘致により多くの企業が来た。しかし昭和44年頃になると、魚の大量へい死,小中野ぜん息、前沖の異臭魚などの公害問題が発生した。その頃から市民の環境に対する意識の高まりが醸成されていった。昭和50年代になると公害防止計画の策定、公害健康被害者救済制度の創設等の対策が行われた。
平成11年八戸市議会が「環境共生都市宣言」し、平成13年にはISO14001の認証を取得し、平成15年には「環境エネルギー産業創造特区」に指定された。その後、新エネルギー・産業技術総合開発機構の委託を受けて、終末処理場の汚泥を利用したバイオガスエンジンの発電、太陽光発電、風力発電など、分散型発電の実証試験を行っている。発電した電気は、市内の4小学校、八戸市役所、水道事業団庁舎などに供給している。事業費は36億円であり、NEDOより8千万円の運営費も来ている。
その他の施策としては、@率先行動計画(うみねこプラン) Aクリーンパートナー制度の創設 Bごみ減量への取り組み(段ボールコンポスト)CBDF利活用事業 Dマイバック・マイ箸運動などの活動を行っている。
所 感
公害の時代背景があったこともあるが、市議会による「環境共生都市宣言」、「環境基本計画」をつくり、行政、市民と一体となり数値目標を設定し、成果の検証もし、今後の行動計画に結び付けているところが、評価すべきところである。市長の環境意識も高く八戸市「循環型都市」宣言をし、内外にアピールしている。
八戸市は事業系ごみが全国平均より高く、清掃センターに於けるダンボールの搬入を規制し、生ゴミの段ボールコンポストで生ゴミの減量化に取り組んでいる。内容は段ボールに「ピートモス」「もみがらくん炭」を混入し、そこに生ゴミを混ぜ堆肥化し、リサイクルしている。3ヶ月で30kgの減量になるとのことである。これは唐津市としてもすぐに利用できると考える。増えつづけるゴミを少しでも減らし、清掃センターの負荷を軽減すると施設の長持ちにもつながるのではないか。
(文責 平野)
八戸市魚市場整備計画について
八戸市の水産業はピーク時の昭和53年には、水揚げ数量75万トン、水揚げ高691億円であったが、その後いわし、さばが大きく減少し、平成17年では水揚げが15万トン、243億円となった。魚種別ではスルメイカは日本一の水揚げがあり、ついでサバが多い。漁業種類別に4魚市場が分散していて非効率であり、老朽化も進んでいる。また近くにウミネコの繁殖場があり、糞害がひどく非衛生的である。
今回採択された八戸漁港流通構造改革拠点漁港整備事業は、2分の1の国庫補助で総事業費65億円、1094mの岸壁整備に11億円、4市場を新築、増改築し、荷捌き場を一体的に整備する為の費用54億円(実際には少し低くなる)、事業期間平成19〜平成24となっている。
考察
ハサップ対応の密閉型のフイッシュポンプ、自動選別、シャーベット氷、超低温冷凍施設等改善しなければ消費者の安全、安心ニーズに対応できない。唐津市においても状況は同じであり、早急な魚市場の整備が必要である。
十和田市馬事公苑視察復命書
新風会 楢崎三千夫
日時 平成19年10月27日
青森県の南部の中央に位置する、十和田市は人口7万人。県南地区の中核都市として、発展し中心市街地の街づくりは、幕末の安政2年に三本木原の開拓にはじまり、碁盤の目状に整然と区画されたまち並みは、近代都市計画のルーツと呼ばれている。
その中において、観光開発は市の大きな行政課題であった。
南部地方は古くから名馬の産地として知られていた。
そこで「馬」をテーマに馬事公苑構想を掲げ、「高森山周辺観光開発整備事業」として、平成5年に本格的な事業実施を開始した。
資金面については、六ヶ所村の「電源立地地域対策交付金事業」において「観光開発事業」に採択され、1期事業として全国でも珍しい馬の文化資料館「称徳館」を平成12年にオープンし、2期事業として「駒っこ牧場」・「交流館」等を平成17年にオープンしたものである。
敷地面積およそ36ha、総事業費は大幅見直しをしても51億円という壮大なスケールの観光開発である。
資料の中にある様に、運営費の「電源立地地域対策交付金」2500万円がなければ、運営そのものもかなり厳しいと言わざると得ないと感じた。
テーマパーク等は、近年厳しい目で見られている中で議会でもいろんな意見がでて、何回も見直しがあったそうだがそれもうなずける視察であった。